ハンドメイドの町、くにたち。佐藤収一

当時はクルマより価格が低かった土地

NPO法人国立市観光まちづくり協会 佐藤収一
親父は昭和25年1月から国立で商売を始めました。それまでは日野に住んでいたんです。私は第二小学校が翌年に開校して、編入してきました。ですから国立での生活も60年以上になります。大正末から箱根土地株式会社が分譲地として売出し、未知の可能性をもって町を切り開いてきた国立のこの地域も、丁度第二次世界大戦後の復興期真っただ中で、富士見通りにはまだ店が少なかったですね。そんな中、富士見通り中地区には建築関係の商売をする人が集まっていました。

佐藤収一さん
佐藤収一さん@明窓浄机館

前後しますが、水道屋の峰岸さん、経師屋の青木さん、電気屋の青木さんと小達さん、材木屋の桜山さん、建具屋の渡邊さん、市村工務店さんや瓦屋さん。そこにウチが加わりました。土地の価格も低く、一坪900円の時代です。ウチは当初パン屋を開業しようと思っていたのです。なぜならまだまだ食べる事に精一杯の時代でしたから。しかし、親戚が神田で金物店を営んでいた事もあり、これからは国立もどんどん人口が増えると睨み、金物関係に方向転換してきました。

☆NPO法人国立市観光まちづくり協会 http://kunimachi.jp/kunimachi-jigyo/

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